某
パイがパンなPに「アニキのブログ告知ばっかじゃん!」と怒られたので、日記らしい事を書いてみようかなと。
曲を聞いてくださった人はご存知の通り、自分はいわゆる「ら抜き言葉」という物に違和感を感じない人間なのです。
「ら抜き言葉」というのは例えば「見れる」「食べれる」のように、本来の言い方「見られる」「食べられる」から「ら」を抜いた言い方の事です。
ええ、歌詞で多様しちゃってます!
『太陽がまぶしくて このハコが出れません』とか
『両手で数えれるくらいは』とか。
そこで疑問が一つ、な~んで俺はら抜きに違和感を感じないんだろう?
自分の動画で「ら抜きは方言だよ」というコメントがついており、色々調べてみました。
まずは出身地の岡山県、岡山弁のWikipediaより引用。
(岡山弁者には)日本語の乱れとして語られることの多い可能表現の「ら抜き言葉」や「れたす言葉」が、老若男女問わず定着している。
「ら抜き」
岡山弁話者の多くが、「食べれる」「見れる」「来れる」等の“ら抜き”を日常的に用いる。
尊敬の助動詞「られる」を用いた命令形「○○せられー」を日常的に多用することもあり、岡山弁話者は、「食べられる」「見られる」「来られる」を聞いたときに、他の地域の者以上に強く「尊敬」か「受け身」と感じ、可能の意味に用いることに抵抗を感じる。このため、弁別の必要上「ら抜き」が発達したと考えられる。 いきなりドンピシャでした。
今は大阪住みで岡山弁は全然しゃべれないけど……しゃべ
られないけど…駄目だー!違和感を感じるw(後で調べたら「しゃべる」は「しゃべれない」でOKですね…日本語ムズカシイ)
自分の場合「ら」が入ると「受身」の意味が鮮烈に浮き彫りになってきてモゾモゾしてしまいます。
と言うわけで、自分の中の謎が一つ解決してスッキリしました。
さらに調べてみると、「られる」は4つの意味(可能・受身・自発・尊敬)をもっているのですが、ら抜き言葉はその中で「可能」の時にしか発生しないんですよね。
「ら抜き言葉」は日本語の乱れではなく、曖昧な表現を区別するための正当な進化という見方もできるようです。
詳しくは
Wikipediaの「日本語の乱れ」の項目。
つまり、昔から時代に合わせて変化してきた日本語なのに「ら抜き」を一概に間違った文法だと目くじら立てるのもおかしくない?って事。
あ、でも「ら抜きが我慢できない」人の気持ちも解ります。
俺も「役不足」や「確信犯」の使われ方でモヤモヤする事があります。
自分の「ら抜き言葉」は正しい!という訳わけでもなく、単純に「アゴアニキのら抜きは岡山弁から来てるんだな~」と生暖かく見守っていただければ幸いです、という自己弁護でした。
ちなみに語呂や語感重視で歌詞に「ら」を使う事もあります。適当な人間ですスミマセン。
あとWikipediaの情報を鵜呑みにしすぎると駄目だからね!
***アゴアニキ関連動画紹介***
座敷ウサギさん作のHAKOBAKO PLAYER手書きPVです
【鏡音リン・レン】HAKOBAKO PLAYER【こたつ手書きPV】
めちゃくちゃかわいいPVです!
原曲を素敵な解釈でアレンジしてくれて見ていてほのぼのしますよー。
そうだよねーこの季節コタツの魔力には勝てないよねー。
冬の季節にぴったりなPVになっています、ぜひ見てください!
***web拍手コメレス***
>yusaさん
はじめまして!適当人間なだけですスミマセンwCDは委託交渉中ですので少々お待ちください!AGOBOTのCDは…またふらふらライブしますのでその時にでも…!
新曲頑張りますのでよろしくお願いします!…冬コミ…どうしようw
>Dandeさん
お疲れ様でしたー!そして合格おめでとうございますー!!これで心置きなくニコ廃人になれますねwともあれおめでとうございます!
>ミチルさん
キモイ、モジャモジャと評判のアゴアニキです。拍手コメありがとうございます!CDありがとうございました…!気合入れて作ったアルバムですのでどうか楽しんでやってください。コ…コスプレ!どの方だったのでしょう!
>双蜜さん
ありがとうございます!配信されたら自重無しに歌ってやってください!
喋れるは、喋れるでいいんじゃないんでしょうか?ら行五段活用とかなんとか。
わたしも最近歌詞に挑戦してみたりしているのですが、
メロディに載せるためにはどうしてもこの「ら」がいらんのじゃー!と思う時があるのだろうと思います。
わたしはよく「い」を抜いてしまいます;
「思ってた」みたいなー。。難しいですね。